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最高裁判所第三小法廷 昭和47年(あ)285号 判決 1973年5月22日

主文

原判決および第一審判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

弁護人飯野春正、同野上恭道の上告趣意のうち、最高裁昭和四四年(あ)第八七八号同四五年一一月一〇日第三小法廷決定・刑集二四巻一二号一六〇三頁および同四三年(あ)第一六二九号同年一二月一七日第三小法廷判決・刑集二二巻一三号一五二五頁の各判例違反をいう点は、原判決の所論判断は、なんら右判例と相反しているものとは解されないから、理由がなく、その余の判例違反をいう点は、いずれも判例の具体的摘示を欠き、その余は、単なる法令違反の主張であつて、すべて適法な上告理由にあたらない。

しかしながら、所論にかんがみ職権で調査すると、原判決および第一審判決は、以下に述べるとおり、刑訴法四一一条一号により破棄を免れない。

本件公訴事実について、原判決および第一審判決に示された事実関係とこれに対する法律判断は、おおむね次のとおりである。すなわち、被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるところろ、昭和四二年一一月二六月午前四時二〇分ころ、大型貨物自動車を運転し、時速約五〇キロメートルで長野県塩尻市大字宗賀七三―四三番地付近国道一九号線(車道幅員7.85ないし7.90メートル)を南方木曾方面から北方松本市方面へ向け進行中、右道路が東方塩尻駅方から西方朝日村方面に通ずる県道(歩車道の区別なく幅員6.6メートル)と交差する信号機の設置された交差点の手前に差しかかつたが、右交差点は左右の見とおしがきかないのみならず、右県道上の交通に対面する信号機は赤色の燈火の点滅を表示し、右国道上の交通に対面する信号機は黄色の燈火の点滅を表示していて交通整理の行なわれていない状態であり、かつ、国道の幅員が県道の幅員より明らかに広いとは認められなかつたから、このような場合、自動車運転者としては、道路交通法(昭和四六年法律第九八号による改正前のもの。以下同じ。)四二条に従い、交差点進入前に徐行したうえ、右交差点内および左右道路からの他の交通に十分注意し、その安全を確認して進行し、もつて危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、被告人は、早朝で交通閑散であることに気を許してこれを怠り、漫然同一速度で同交差点に進入しようとした過失により、交差点直前(交差点中央から南方約一〇メートル)に達した際、右方県道上を時速約六〇キロメートルで同交差点に向つて進行する吉沢和夫運転の普通乗用車を右斜め前方一五ートルの地点にはじめて発見し、急制動をかけたが間にあわず、右交差点中央付近で、自車前部を右普通乗用車の左側部に激突させ、その衝撃により同車同乗者一名を死亡させ、右吉沢および他の同乗者三名にそれぞれ傷害を負わせた、というのである。そして原判決は、被告人の本件交差点直前における徐行義務は、交差点内における円滑な通行の不可欠の前提をなし、交差点内における衝突事故と直結するものということができ、被告人が徐行して交差点に臨んでいれば当然本件事故を十分回避しえたものと判断されるから、その徐行義務違反が直接事故の一因となつていることはとうてい否定しがたく、この場合に信頼の原則を適用して被告人の過失を否定すべき理由は存在しない、というのである。

たしかに、被告人が右判示のような注意をしておれば、本件事故は発生しなかつたか、少なくとも本件事故とは異なる事故になつていたであろうと思われる。問題は、被告人にそのような注意義務があるかということである。そこで、以上の事実関係を基礎にして、被告人の注意義務に関する右判示の当否について考えることとする。

前記のとおり、吉沢の対面する信号機は、赤色の燈火の点滅を表示していたというのであるが、この信号は、道路交通法施行令(昭和四六年政令第三四八号による改正前のもの。以下同じ。)二条一項が定めるとおり、車両等につき、「交差点の直前において(中略)一時停止しなければならないこと」を意味するものであり、また道路交通法四条二項により車両等が信号機の表示する信号に従うべきこともちろんであるから、右交差道路から本件交差点に入ろうとする車両の運転者は、すべてその直前において一時停止しなければならなかつたのである。また、この場合、再度発進して交差点に入るにあたつて国道上の交通の安全を確認し、接近してくる車両があるときには衝突の危険を回避するため所要の処置をとるべきことも当然の事理である。

しかるに、被告人の対面する信号機は、黄色の燈火の点滅を表示していたというのであつて、前記施行令二条一項によれば、その意味は、「他の交通に注意して進行することができること」というにとどまり、なんら特殊な運転方法ないし注意義務を課するものではない。そして、被告人が本件交差点に差しかかつた際に、交差道路からすでに交差点に入つた車両や交差点の直前で一時停止し、発進して交差点に入ろうとしている車両があるような場合には、そのまま進行すれば衝突する危険があるから、被告人においてもその動静に注意しつつ、減速徐行あるいは一時停止等、臨機の措置に出て、もつて危険を回避すべき義務があるけれども、そうでなければ、右のとおり交差道路上の車両はすべて信号に従い一時停止およびこれに伴なう措置をとることとなつているのであるから、被告人の車両がそのまま進行しても、交差道路上を接近して来た車両が、被告人の車両に先んじて、もしくはこれと同時に交差点に入るというようなことは考えられず、したがつて衝突の発生する危険もないはずであり、特段の事情の認められない本件において、被告人が、交差道路を進行してくる現認できない車両は当然交差点直前で一時停止するから衝突の危険はないものとして、徐行することなく交差点に進入したとしても、これをもつて不注意であるということはできないのである。

もつとも、本件交差点の前示状況に照らし、被告人がその直前で徐行しなかつたことは道路交通法四二条に違反している疑いがないではなく、かつ、被告人がこの徐行をしていれば本件衝突は起らなかつたかも知れないと考える余地があつて、この意味で、右徐行懈怠と本件の結果発生との間には条件的な因果関係があるといえなくはないけれども、交通法規違反のあることがただちに、刑法上、個別的な業務上の過失があることを意味しないことは多言を要しないのみならず、もしも、道路交通法上、被告人が徐行をしておれば交差道路上は一時停止義務を解除されるようなことになつていたのであれば、被告人は、吉沢が被告人において徐行するものと考えて一時停止をしないことをも予想すべきであり、徐行することのないまま交差点に進入したことはこの点に思いをいたさなかつたものとして過失の責を問われてもやむをえないであろうけれども、すでに述べたとおり、本件交差点では、吉沢は、国道上の交通状況如何にかかわらず、必ず一時停止のうえ安全を確認すべく、本件のように、時速約六〇キロメートルという速度のまま、交差点に突入することが道路交通法上許容されることはありえなかつたのであり、かつ、吉沢においてこのように適法な運転をしていさえすれば、被告人の徐行の有無に関係なく、本件衝突の発生するおそれはまつたくなかつたのであるから、被告人の徐行しなかつたことは、本件の具体的状況のもとでは、なんら事故に直結したものといえず、これをもつて不注意ということもできない。

原判示のような注意を被告人においてしなければならないとすれば、一時停止などを定めた道路交通法の趣旨は没却されることになるといわなければならない。

このようにみてくると、本件被告人のように、自車と対面する信号機が黄色の燈火の点滅を表示しており、交差道路上の交通に対面する信号機が赤色の燈火の点滅を表示している交差点に進入しようとする自動車運転者としては、特段の事情がない本件では、交差道路から交差点に接近してくる車両があつても、その運転者において右信号に従い一時停止およびこれに伴なう事故回避のための適切な行動をするものとして信頼して運転すれば足り、それ以上に、本件吉沢のように、あえて法規に違反して一時停止をすることなく高速度で交差点を突破しようとする車両のありうることまで予想した周到な安全確認をすべき業務上の注意義務を負うものでなく、当時被告人が道路交通法四二条所定の徐行義務を懈怠していたとしても、それはこのことに影響を及ぼさないと解するのが相当である。

そうすると、本件において、被告人に過失責任を認めた原判決および第一審判決は、法令の解釈を誤り、被告事件が罪とならないのにこれを有罪としたものというべく、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、刑訴法四一一条一号により、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

よつて、同法四一三条但書、四一四条、四〇四条、三三六条により、裁判官天野武一の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官天野武一の反対意見は、次のとおりである。

私は、多数意見と異なり、原審の法律判断こそは正当であつてそこに上告趣意所論の違法はなく、本件上告はこれを棄却すべきものと考える。多数意見に敢えて反対する理由を次に示す。

(一)  本件事実関係のうち、

(イ)  本件事故は、昭和四二年一一月二六日午前四時二〇分頃、長野県塩尻市大字宗賀七三―四三番地付近における国道一九号線(車道幅員7.85ないし7.90メートル)と県道(歩車道の区別なく幅員6.6メートル)との交差する十字路の中央付近で発生したこと

(ロ)  被告人が、その国道上を南方より北方に向けて大型貨物自動車(以下、単に被告人車という。)を運転進行し、時速約五〇キロメートルで徐行することなく同交差点を通過しようとした際、右県道上を東上より西方に向い時速約六〇キロメートルで一時停止することなく同交差点を通過しようとする吉沢和夫運転の普通乗用自動車(以下、単に吉沢車という。)の左側部に自車前部を激突させ、その衝撃により、吉沢車の同乗者一名を死亡させ右吉沢および吉沢車の他の同乗車三名にそれぞれ傷害を負わせたこと

(ハ)  事故現場は、信号機の設置された交差点であり、左右の見とおしがきかないのみならず、両車が交差点に差しかかつたときは、右県道上の交通に対面する信号機は赤色の燈火の点滅を表示し、右の国道上の交通に対面する信号機は黄色の燈火の点滅を表示していて、交通整理の行なわれていない状態であつたこと

の諸点は、第一、二審判決において確定されたところである(なお、右吉沢和夫に対しては、本件事故につき禁錮八月の刑が確定している。)。

(二)  右のほか、原判決が第一審判決とともに認定判断するところに従えば、

(イ)  右交差点に差しかかる国道の幅員が県道より明らかに広いとは認められなかつたから、このような場合、右国道を進行する車両の運転者としては、道路交通法(昭和四六年法律第九八号による改正前のもの。以下同じ。)四二条に従い、交差点進入前に徐行したうえ、同交差点内および左右道路からの他の交通に十分注意し、その安全を確認して進行し、もつて危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつた。

(ロ)  被告人は、早朝で交通閑散であることに気をゆるして右の注意義務を怠り、漫然同一速度で同交差点に進入しようとした過失により、交差点直前(交差点中央から南方約一〇メートル)に達した際、右方県道上から進行してくる吉沢車を右斜め前方一五メートルの地点ではじめて発見し、急制動をかけたが間にあわず、その結果前記のとおりの激突事故をひきおこした

というのである。原判決は、当時右交差点が道路交通法にいう「交通整理の行なわれていない交差点」であることをまず定め、ついで吉沢車の進行している県道と被告人車の進行している国道といずれが同法三六条二項の広狭関係にあるかについては、これを客観的に定めうる場合ではなく、しかも同所は同法四二条にいう左右の見とおしのきかない交差点であるから、まさしく同法三五条、三六条の予想する状態にあることを、原審自らの現場検証によつて確認したうえ、吉沢車は赤色の燈火の点滅表示に従い一時停止すべきであつたことは勿論であるが、被告人車の立場も、同法四二条の定めるところに従つて交差点の手前で徐行して同法三五条一項または三項との調整を必要とする場合であつたと説くのである。その認定判断のいずこにも誤りはない。しかるに多数意見は、被告人が「(交差点の)直前で徐行しなかつたことは道路交通法四二条に違反している疑いがないではなく、かつ、被告人がこの徐行をしていれば本件衝突は起らなかつたかも知れないと考える余地があつて、この意味で、右徐行懈怠と本件の結果発生との間には条件的な因果関係があるといえなくはないけれども」といいながら、さらに進んで本件の具体的場合に対する同法四二条の適用関係につき正しく追及するところがない。そのうえ、多数意見は、単に、被告人の対面する信号機が表示していた黄色の燈火の点滅が同法施行令二条一項(昭和四六年政令第三四八号による改正前のもの、以下同じ。)により「他の交通に注意して進行することができること」を意味するにとどまるから「なんら特殊な運転方法ないし注意義務を課するものではない。」との解釈を示したのち、このことを前提に、「被告人が本件交差点に差しかかつた際に、交差道路からすでに交差点に入つた車両や交差点の直前で一時停止し、発進して交態点に入ろうとしている車両があるような場合には、そのまま進行すれば衝突する危険がある」けれども、そうでなければ、(イ)「交差道路上の車両はすべて信号に従い一時停止およびこれに伴なう措置をとることとなつているのであるから、被告人の車両がそのまま進行しても、交差道路上を接近して来た車両が、被告人の車両に先んじて、もしくはこれと同時に交差点に入るというようなことは考えられず」 (ロ)「特段の事情の認められない本件において、被告人が、交差道路を進行してくる現認できない車両は当然交差点直前で一時停止するから衝突の危険はないものとして、徐行することなく交差点に進入したとしても、」被告人が不注意であつたということはできないと判断する。しかし、この点に関しては、原判決も「被告人に徐行、左右の安全確認等の注意義務があるとすれば、それは本件交差点の状況その他に基づいて生ずるのであつて、黄色が点滅信号のもつ意味そのものからかように注意義務が発生するわけではない。」といつているのであつて、原判決は、その見地から、本件の場合には「他方の道路から来る車両等は赤色の点滅信号の表示するところに従いその直前において一時停止の義務はあるものの、一時停止したのちはさらに状況に応じて発進し交差点に入ることができるのであり、黄色の点滅信号のある道路を来る車両等は他の交通に注意しつつ進行することができるわけであるから、当該交差点における両者の優先関係については依然調整を必要」とし、これは、前述のように「まさしく道交法三五条、三六条の予想する状態である」とみて、同法四二条により被告人には本件交差点の手前で必ず徐行する義務があることを明確に判示したのである。しかも原判決は、およそ交差点を運行する車両の運転者として、この道路交通法の規定の定めるところにしたがつて行動すべきことはひとり同法上の義務であるにとどまらず、いやしくも同法のこれらの規定が交差点における事故の発生を防止することを目的として設けられていることにかんがみれば、特段の事情によつて別異の行動をとることが事故防止のために必要であるような場合を除いては、「同時に事故発生を防ぐための注意義務にもあたるわけである。」と説き、もつて周到にその間の相関関係を解明しているのである。しかるに、多数意見は、ただ「交通法規違反のあることがただちに、刑法上、具体的な業務上の過失があることを意味しないことは多言を要しない」と言及するのみであつて措辞はなはだ簡略に過ぎ、私のとうてい納得しうるところではない。

(三)  くりかえしていうが、原判決は、本件のように交通整理の行なわれていない左右の見とおしのきかない交差点で、国道のほうには黄色の点滅信号が、県道のほうには赤色の点滅信号か作動している場合に、被告人車は道路交通法四二条の定めるところに従つて交差点の手前でまず徐行したうえ、「その状態においてもしすでに他の道路から交差点に入つている車両等(同法三五条一項)または左方の道路から同時に交差点に入ろうとしている車両(同条三項)があるときはその車両等を優先して進行させるべきであり」、一方吉沢車は、赤色の点滅信号に従つて交差点の手前で一時停止したうえその状態で右のような措置をとるべきであつたことを判示し、このように「両者にそれぞれ一定の義務を課することによつて事故の発生を防止しようというのが道路交通法の趣旨」であると解するのである。つまり、原判決は、「この場合双方に対し徐行または一時停止の義務がそれぞれ課せられているのは、交差点内における車両通行が法の定める優先順位に従つて行なわれ衝突事故などの発生することのないようにするためなのであるから、その一方だけが義務を果たせば他方はこれを守らなくてもよいというようなものではない。」というのであつて、その説くところは、すべて肯定に値いし、いわゆる信頼の原則が、ことさら安易に適用されがちな傾向に対してその誤りを正しく指摘したものということができよう。この点につき、多数意見は、当時の国道上の交通状況如何にかかわらず吉沢車は必ず一時停止のうえ安全を確認すべきであつたとの一事のみを強調し、吉沢車が適法に運転されていさえすれば、被告人の徐行の有無に関係なく本件衝突発生のおそれは全くなかつたのであるから、被告人の徐行しなかつたことは、本件の具体的状況のもとでは、なんら事故に直結したものといえないとして、被告人の責任を否定するのであるが、私は、原判決とともに、本件における被告人の交差点直前における被告人の交差点直前における徐行義務は交差点内における円滑な運行の不可欠の前提をなすものと解し、この義務違反は交差点内における衝突事故と直結する性質のものであることにその存在理由の重さを認めぜるをえないので、被告人の右不徐行は本件事故にとつて単に間接の関係にとどまるものとみるが如きは実体に即しない独断であるとさえ考える。すなわち、本件事故は吉沢車の不停止と被告人車の不徐行との競合によつて発生したものと認識することによつてはじめて、本件の交差点進行の場合における両車の注意義務相互のあり方を正しく問うことができるのであり、また、この具体的状況のもとで競合する過失責任の配分においては、もとより吉沢の過失の重大さを強く責めなければならないが、被告人も徐行して交差点に臨んでいれば当然本件事故を十分に回避しえたものと判断した原判決に対し、これを誤りとすべき合理的な理由は全く存しない。この点に関連して多数意見は、被告人の不注意を軽視するの余り、原判示のような注意を被告人においてしなければならないとすれば、一時停止などを定めた道路交通法の趣旨は没却されることになるとまで極論するけれども、私は、道路交通上の注意義務違反の行為が、事実上必ずしも事故に結びつかないままに日常去来している事態のあることを否定できないとしても、そのゆえをもつて、例えばこの道路交通法四二条の規定する交差点における一時停止ないし徐行の義務の懈怠をたやすく是認したり、その不注意による事故の不回避を許容したりすべきものとは考えない。むしろ、これらの義務こそは、個々具体的な現在の危険を問うことなしに、正常な運転者の正常な判断に基く態度として現実に守られてきており、かつ、当然これをすべての運転者に求めるに足る社会生活上の規制であるといいうると思うのである。

(四)  本件は、偶々、晩秋の信濃路における夜明け前の交通閑散たる状況のもとで、被告人がかねて勝手知つた道筋であることに気をゆるして、右の徐行を怠つたものであることを容易に認めうるのであつて、それは被告人の経験上、千慮の一失であつたのかもしれないけれども、およそ自動車運転者としては、かかる交差点における出会い事故の防止を必要とする建て前から当然徐行の注意義務を守るべき場合であつたとしても、決して厳に失することはないのである。

思うに、注意義務とは、結局のところ結果を回避する義務であり、究極的には条理に基づいて決定さるべきであるが、本件における被告人の結果回避義務違反の程度が相手方に比して格段に軽いとみて然るべきであるからといつて、これを全く解除して無に帰せしめてよいいわれはなく、かような一方的な判断は、情緒に偏して理論的でないといわなければならない。さらにいえば、他者を信頼して自己の注意義務を怠ることは、他者を信頼することに失がありうることにも通じ、守るべき義務を怠る自己もその結果たる事故発生の原因に直接参加するものであることを否定してはならないのである。いうまでもなく、信頼の原則は、双方に責任がある場合における責任の分配に関する一種の基準なのであるから、当初から一方の過失責任を全く認めえない場合には作用すべくもないが、学者の説く如く、未知の危険に対し危険発生の場合の責任の負担を誰に帰せしめるかの課題を解く尺度を「信頼の原則」に求めるのであるとすれば、この原則をもつて有かか無かそのいずれかを選択するほかない基準であるとするよりは、事態の認識につながる危険の配分すなわち責任分配の程度の問題としてこれを評価し適用するところに、現実に適応した至当な解決があるというべきである。

かくして私は、被告人につき業務上過失致死傷罪の成立することをやむをえないものと認めるがゆえに、原判決および第一審判決を刑訴法四一一条一号に該当するものとして破棄自判することに反対する。

(天野武一 関根小郷 坂本吉勝)

上告趣旨<省略>

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